ミニマル計画20 あげちゃう
ここ数ヶ月、ミニマル計画についてはnoteというブログサービスに書いてました。しかし様々な理由でこっちのブログに再統合しますので、これまでnoteに書いて、こっちの過去13回で書いた内容と被らないものは移行します。
noteが魅力的なサービスであることは間違いないんだけど、私にははてなブログのスタイルが合ってるなあと。文字サイズや色の変更が感覚的だったり、リンクの貼り方がいい感じだったり、はてなブログは何かと機動力が高いんですね。
そして何より管理するモノ自体を減らしたいっていうのが目的ですね。「明確な理由があって要素を増やして、それで過ごしてみて、納得したうえで、またまとめる」っていう私のミニマリズムそのものって感じの行動になっちゃいました。では!
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私の思うミニマリズムは物質的なものではありません。
モノを減らすとか持たないっていうのはあくまでも手段で、その結果、やりたいことを思い切りやれるような気持ちだったり、偶然訪れる出会いや新しい展開を逃さず捕まえられるようになる、これが目的です。何度でも書いていこうと思っています。
でも私、基本的にはモノは持たないですし、必要と即決できないものは速攻で手放します。でも今日はその例外みたいなことを書いてみます。
服や装備品など、なんというか中期的に使うみたいなものってありますよね。
短期的利用アイテム
→シャンプーなど明らかに量が減るもの
中期的利用アイテム
→服や各種装備品など普段身につけてるもの
長期的利用アイテム
→PCや楽器や家電などデバイスのようなもの
と、なんとなく分けてみるとこんな感じ。
〇〇的利用アイテムって語感悪悪ですけど、分類するために今考えました。
それで、いわゆるモノが溢れかえってるって、この中期的利用アイテムが手元に多い状態なのかなと思います。
でも洋服や本漫画など、この部分のアイテムって人生を豊かにするものが多いですよね。なので減らせばいいってものでもありません。
物質にも色々あって、そういう風なモノをたくさん持っているひとに対して私は何の悪い感情も抱かないのでその辺りはどうかご安心くださいね。
今日書きたいのはこの辺のところで、近年の新しい趣味です。タイトルの通り
ひとにあげちゃうです。結構楽しいんですよ。
普段身につけるものって、私は結構ちゃんと考えて選んでるつもりです。値段とかブランドはどうでもよくて、デザインや機能がマッチしているものを選んでいます。
こんな感じで、黒か銀か白か紫で防水でシュッとしてるものが好きみたいです私。
それらを↑自分でデザインしたリュックにいれてる感じです。
あと着てる服は、自分で作りようのない素材や構造の服や、ゆかりのあるアーティストのTシャツ以外はほぼ全部、自分でデザインしたものです。なので結構、自分が身につけてるものには納得しています。
それゆえ使い終える・買い換えるタイミングがないんですね。
「別にわざわざ買い換えなくても」ってことではあるんですけど、新しいグッズを月2-4アイテムくらいのペースで作りますし、それは私自身が使いたいから作るっていうのがWOZNIAK (私のプロジェクト) のグッズ制作の前提なので、全部使い続けてるととんでもないペースで自分のグッズで溢れ返ります。なので、ひとにあげます。
新品の状態でサンプルをあげるとかっていう意味ではなくて、例えば私がその服を着てる状態で「それいいね!」って言ってきた友人がいたとして、その時私が着替えを持ってたり、それを脱いでも行動ができそうな時は、その場で脱いで、中古でいいならと伝えて、あげちゃいます。
WOZNIAKのグッズについてはちょっと特殊な例ですけど、これに限らず様々な身の回りのアイテムをあげちゃう感じにしてみています。中古だよ? (笑) みたいな感じでどんどん渡しちゃいます。そうすることで気持ちよく自分から物質が減っていきますし、誰かにとって意味のあるものに変わっていくっていうのも不思議な感覚で、良いものです。
捨てるでもなく、売るでもなく、貸すでもない「あげちゃう」という選択、面白いです。「それいいね!」みたいに、あくまでも相手から興味が始まった時です。あと誰でもいいって訳ではありませんよ。当然ひとは選びます。
一時期オークションやフリマのサービスで売却していた時期もあったんですが、それよりこうして誰かにあげちゃうっていうスタイル、結構オススメですよ。
この前、誕生日直後のひとがいて、そのひとが私のボトル&プロテインシェイカーを見て「これどこのですか?いいですね」と言ってきたので、こりゃあもうってことで、その場であげました。洗いもせず、中に水が入っている状態で (笑)
でもこの場合は、あげちゃったものより一回り小さいシェイカーも持っていたので、これから私はそっちをちゃんと使えばOKだし、それで所有のボトルは1つだけ (あげたものと手元ので用途はちょっと違ったけど) になって、むしろグッドです。
ちょうどこれから秋冬でアウターが増える季節なので、去年まで着ていた服たちを見て、1-2着を残して、他はあげちゃおうと思います。その状態で秋冬を始めようと思います。身軽って最高です。
ミニマル計画19 画面の中に趣味がある
ここ数ヶ月、ミニマル計画についてはnoteというブログサービスに書いてました。しかし様々な理由でこっちのブログに再統合しますので、これまでnoteに書いて、こっちの過去13回で書いた内容と被らないものは移行します。
noteが魅力的なサービスであることは間違いないんだけど、私にははてなブログのスタイルが合ってるなあと。文字サイズや色の変更が感覚的だったり、リンクの貼り方がいい感じだったり、はてなブログは何かと機動力が高いんですね。
そして何より管理するモノ自体を減らしたいっていうのが目的ですね。「明確な理由があって要素を増やして、それで過ごしてみて、納得したうえで、またまとめる」っていう私のミニマリズムそのものって感じの行動になっちゃいました。では!
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これは前回書いた「時間ができたらできたでどう過ごせばいいかわからない」と似ている、私にとって新たな楽しい悩みです。
今年2019年の正月に漫画ハンターハンターにハマり狂ってしまったことと、昨年登録したNetflixを少しずつ活用するようになったこと、今ぱっと思いつくのはこの2つですね。趣味が増えました。
いや、ハンターハンターについては趣味のレベルを完全に超えてしまっているかもしれません。現在コミックス36巻 (と週刊少年ジャンプに収録されているその先の10話) を永遠に (比喩ではなく) 読み続けています。最近になればなるほどストーリーが複雑になっていき、それに比例して私の興味も加速しています。漫画 (というかフィクション) の域を超えた緻密な世界観・人間関係の作り込みで、何度読んでも内容を完全に把握することができません。だから無限に読み返してしまいます。私の2019年上半期はハンターハンターだったと断言できます。この記事もハンターハンターについて書きたい訳でもないのに即熱くなってしまう始末。失礼しました。
何なのかと言うと、ハンターハンターを読むiPad、NetflixやYouTubeを観るMacBook、それを常に持ち歩いているからいつでも読める!観れる!最高!だけど誘惑がヤバい!ということです。
ここ数年の自分の生活を振り返ると、音楽活動を中心に、なんというか「目の前に現れる全ての物事に対して全力で挑み続けていた」そんな感じがします。あらゆる誘いに乗って、流れるままに生きてきた自覚があります。
なので、私の趣味って何だ?と考えても、全然思いつかないんですよね。正直、趣味とか、そういうことを考える心の余裕が全然なかったように思います。強いて言えば、SNSを更新したりブログを書くこと、ミニマリズム、飯、こんなところでしょうか。娯楽感のある行動をほとんどしていませんでした。
「音楽活動のことをキャッチーな感じでブログやSNSに投稿する」
「ライブやツアーで移動が多いから軽くてタフで機能的な装備品を集める」
「バンドやプロジェクトの種類がめちゃくちゃで色んな土地に行くから現地のうまい飯やカフェを探す」
みたいなことで、生活や活動それ自体の中に楽しめる要素を注入していた感じです。こうして書いてみると結構いいですよね。生活と仕事と趣味が一体となっている感じで。
なので、上記とは毛色が違う娯楽というような趣味らしい趣味ができた今、私はそれにどれくらい時間や気持ちを割けばいいのか、全然コントロールできません。どういう悩みだよって自分で書いてて苦笑いしちゃいます。
なので最近、自分の中に時間割のようなものを作ってみるのはどうか?と考えています。
まずはそもそも私は1日の中で何をしているのか、そしてそれをするのにどれくらい時間を使っているのか、などを書き出してみて、自分の今を把握しようと思います。
こういうことって怖いですよね。「うわあ、私はどれだけ飲みに行ってるんだ!」など、見えてきちゃいますからね。
時間割のようなものを作るとしたら「ハンターハンターは1日2話まで」みたいなことになるんでしょうか?笑えますね。でも楽しそうです。
日々の暮らしの中で、物質的にも精神的にも、ミニマルでありたいと思い続けてはいても、少しずつ状況や気持ちは変わっていくものです。が当人は「少しずつ」の途中はそれに気づけない。少なくとも私はそうです。なのでたまにこうして、自分のことを文字にして書き出してみることって大事かなと思ったりしています。
ミニマル計画18 時間ができたら
ここ数ヶ月、ミニマル計画についてはnoteというブログサービスに書いてました。しかし様々な理由でこっちのブログに再統合しますので、これまでnoteに書いて、こっちの過去13回で書いた内容と被らないものは移行します。
noteが魅力的なサービスであることは間違いないんだけど、私にははてなブログのスタイルが合ってるなあと。文字サイズや色の変更が感覚的だったり、リンクの貼り方がいい感じだったり、はてなブログは何かと機動力が高いんですね。
そして何より管理するモノ自体を減らしたいっていうのが目的ですね。「明確な理由があって要素を増やして、それで過ごしてみて、納得したうえで、またまとめる」っていう私のミニマリズムそのものって感じの行動になっちゃいました。では!
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ここ数ヶ月、ちょっと時間 (と気持ち) に余裕がある気がしています。
どこでどういう暮らしをしているか、まで具体的に書くことはもうしませんけど、最近、本当にそうなんです。
私は音楽活動を中心に日々動いているんですけど、ここ数年を思い返してみると、もうなんだか、全てが目まぐるしくて、凄かったんです。
それ自体は最近も全然変わっていなくて、曲を作ってライブをしてグッズをデザインして、など、ドタバタしっぱなしなんですけど、なんだか余裕があるんですね。
アレですよ。逆玉の輿だとか、巨万の富を得た、とかじゃあないですよ。
理由を考えてみると「移動時間」と「誰かと過ごす時間」が以前と比べてかなり減ったのが大きいかもしれません。それぞれについての詳細はまた今後書くとして、今回は時間ができた結果私はどうなったかを書いてみます。
かわりに 祈る時間が増えた
だったら超カッコいいんですけど、私はまだその域には至れず、むしろ新たな考え事が生まれています。
簡単に書くと、時間ができたらできたで、どうしたらいいかわからない状態になってしまいました。
今までの私のライフスタイルは、いったん予定を入れまくって、そのうえで隙間の時間を見つけて、連絡や事務的な作業をどんどんこなして、たまたま予定が入らなかった時などまとまった時間で、楽曲やデザイン制作などの急げない作業をしてきました。
それが、最近の生活変化によって「今日は夜まで何もない」「夕方の打ち合わせ以外何もない」みたいな瞬間が増えたもんですから、それはそれでどう過ごせばいいかのわからないんです。我ながらアホすぎる。
長期休み前のテスト期間に「これが終わったらアレもコレもやってやる!遊びまくってやる!」と考えながら苦しい勉強時間を過ごしていたけど、いざ休みが来ると、ちょっと前まで夢みてたアレもコレもやらずに結局ダラダラしちゃう。みたいな感覚に近いかもしれません。
いったん朝からカフェに行って、タスクを書き出して、それはそれでちゃんと進めるんですけど、なんとなく今までよりスピードや集中力が落ちたように感じるんです。他のことを調べ始めてしまったり、気づけばNetflixでブラックミラーや攻殻機動隊を観まくっていたり、ケンドーコバヤシのすべらない話で爆笑していたり、ハンターハンターを読み狂っていたり、そんな瞬間が多いです。
カフェに入ってPCを立ち上げる以前の話もあって、時間が生まれて、かつひとりでいるからこそ「気になるあの店に食べ行ってみようかな」とか「今さくっと飲みに行ける誰かいないかな」なんていう、今まで全くなかった様々な発想が、脳内を駆け巡ります。人としてそんなの全然普通のことだってのは頭ではわかっているんですけど、なんせここ数年、そういう時間が全然なかったので、常に「今、映画を観てていいのか」「これをしている時間にもっと作業を進められたかもしれない」みたいな気持ちと闘っています。フリーランス病みたいなものかもしれません。
時間を手にしたらしたで、新しい敵「時間を手にした自分」が登場した感覚です。手強いです。
ミニマル計画17 本は電子書籍?実物?
ここ数ヶ月、ミニマル計画についてはnoteというブログサービスに書いてました。しかし様々な理由でこっちのブログに再統合しますので、これまでnoteに書いて、こっちの過去13回で書いた内容と被らないものは移行します。
noteが魅力的なサービスであることは間違いないんだけど、私にははてなブログのスタイルが合ってるなあと。文字サイズや色の変更が感覚的だったり、リンクの貼り方がいい感じだったり、はてなブログは何かと機動力が高いんですね。
そして何より管理するモノ自体を減らしたいっていうのが目的ですね。「明確な理由があって要素を増やして、それで過ごしてみて、納得したうえで、またまとめる」っていう私のミニマリズムそのものって感じの行動になっちゃいました。では!
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ミニマリズムについて記事を書き続けている時点で、データ化できるものはどんどんしようという意気込みで生きています。以前も書きましたが、なんせ私にとってミニマリズムを考えるきっかけがKindleの出現ですし。
でも、生きていると色々なことがあって、考え方は少しずつ変わっていくもので。
現時点で私は「なんでもデータ化すればいいってわけでもないかも」と思うようになってきています。それを一番感じるのが本や漫画や雑誌です。
この記事ではまとめて本と書きます。今回は本について書きます。
最近私、なんとなく本を電子書籍ではなく、モノで買ってるんですね。モノで買って読みたいなあくらいの感じで、そんなに深く考えてないんですけど、改めて今、そこを深掘りしてみます。
なぜCDやDVDと違い、本はモノで買ってしまうのか。それは「本だけあれば体験できるから」というのが一番の理由かもしれません。
モノ:購入→読む
私は普段iPhoneとMacBookを常備していて、必要に応じてiPadも持って出かけるスタイルなので「タブレットなどの端末に送信」という段階がちょっと面倒に感じる瞬間があります。面倒に感じるかどうかは別としても、工程が1つあるっていうこと自体に変わりないですよね。
電子書籍で買うより、工程が少ないから買っちゃって即読む。これが本をモノで買う大きな理由です。
音楽なら
モノ:CDやレコードをゲット→プレイヤーにセット→再生
映像なら
モノ:DVDやブルーレイをゲット→プレイヤーにセット→再生
ざっと書くとこういうことですよね。工程自体が少ない方を選びたいという気持ちでいくと、音楽も映像もデジタルをチョイスしたくなります。
本音楽映像と向き合う時間の中で一番ワクワクしてる時って作品を手にした瞬間なので、そこから体験までの道のりが近いのがベストっていう考え方でしょうか。自分で書いて整理している感じです。
こうやって自分がなんとなくしている行動を振り返って考えること自体が好きです。そして「なるほど、じゃあ本って完成された媒体なんだ」と感動しています。
こうやって書いている通り、私はミニマリズムを推し進めつつ、物質を否定していません。むしろ大切です。
CDを買ってから自宅に帰るまで、ジャケットや歌詞カードやライナーを見てワクワクしたり、レコードに針を落とす瞬間だったり、そこで音楽を聴きながらコーヒーを飲むのが最高なんだって感覚だったり、ものすごくいいですよね。なので今の私のスタイルでしかないんですけどね。あくまでも考え方のひとつとして。
作品をゲットしても、自宅など限られた環境でしか体験できなかったものがゲットした瞬間それ以降いつでも体感できるに変わった (スマホやPCを携帯している前提ですが) わけですから、このスピード感の進化ってすごいですよね。基本的な目的は作品を体験することですし、必然といえば必然です。
でもだからこそ、作り手は物質としても楽しめるようにアートワークにも趣向を凝らしたり、こういう時代の中でも楽しんでもらえるものづくりをするべきだと考えています。
私個人はアーティストとして、作った楽曲はCDやレコードなどモノに残したいという気持ちがあります。でも「CDを買うひとが一定数いるから、そのひとだけが買ってくれればいい」という気持ちで普通にCDをホイっと作る気は全くありません。「ああ面白いことしてるな、それなら買おう」って気持ちになってもらえるようなものを作りたいです。その辺りは活動と絡めて今後、また。
音楽については引き合いに出したかっただけなのに、ついつい書きすぎてしまいました。
話を戻すと、本ってそれだけで完結して楽しめるメディアだから、わざわざ電子書籍で読むまでもないというのが私が本をモノで買う最大の理由です。
改めて物質を減らすことだけがミニマリズムという訳ではないという事にも気付かされます。
でも何度も読み返したい巻数の多い漫画 (私にとってはハンターハンター) なんかは、電子書籍で購入しています。おかげで四六時中読めてしまって睡眠時間がどんどん削られていくことや、オススメした友人に貸せない、など苦しみも生まれていますが。
それと、世の中に出回っている全ての本がモノと電子書籍版、どちらも出している訳でもないので、デジタルで統一したくてもできないんです。
さらに、本ってモノで買っても値段がほぼ変わらないんですよね。それなら読み終わってからひとにあげたり、コミュニケーションツールになるし、そういうのも、私が本をモノで買う理由のひとつです。
でも本はモノが多いと買いておきながら、本屋さんって、個人的にはなかなか肌に合わないんですよね。
気になる本が売っているかお店に行かないとわからないし、あっても店内のどこにあるかがわかりづらいし、などなど。買えたとしてもそれだけですし。ここで買って良かったと思わせてくれる本屋さんに私が出会っていないだけかもしれませんが、今書いたような理由で、本屋さんに行くことをチョイスした結果時間を無駄にしたと感じることが圧倒的に多いです。
なので最近は、Amazonでモノとしての本を注文するっていう、アナログとデジタルが混在したスタイルが多いです。
みんなは本をどうやって読んでるんでしょうか。気になります。
ミニマル計画16 自炊への憧れ
ここ数ヶ月、ミニマル計画についてはnoteというブログサービスに書いてました。しかし様々な理由でこっちのブログに再統合しますので、これまでnoteに書いて、こっちの過去13回で書いた内容と被らないものは移行します。
noteが魅力的なサービスであることは間違いないんだけど、私にははてなブログのスタイルが合ってるなあと。文字サイズや色の変更が感覚的だったり、リンクの貼り方がいい感じだったり、はてなブログは何かと機動力が高いんですね。
そして何より管理するモノ自体を減らしたいっていうのが目的ですね。「明確な理由があって要素を増やして、それで過ごしてみて、納得したうえで、またまとめる」っていう私のミニマリズムそのものって感じの行動になっちゃいました。では!
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「説得に最も効果的なのは圧倒的な視覚的根拠!!」
念という概念を疑い続けるウェルゲーに対してビスケが真の姿を見せた時に放った名言です。そういうことです。一発で黙らせろってことです。
精神的なことや考え方をどれだけ書くより、具体的な話の方が全然面白いですよね。読む方も書く方も。
ということで、私のミニマル計画について、今回からは具体的なことを中心に書いていきます。どういう経緯で今に至るのかその流れというより、生きてくうえでの色々な瞬間、ミニマリズム邁進中の私はどういう選択をするのか、みたいな感じで、あてもなく。
まずは食事について書いてみます。食事は最大の趣味です。
食生活について書こうと思うと、生活そのものについても触れざるを得ないんですけど、私は今住んでいる部屋に、水道がありません。ガスもありません。
「え?」て反応をする方もいるかもしれませんけど、今回はそこについて深掘りせず進みますね。ワンピースの戦争編について尾田栄一郎先生も言ってたけど、スピード感が大事な時もある。じゃあ先に住環境から書けよって話ですけど、もう食事について書き始めてしまったので、いいです。
話を戻します。そんな環境なので、私は自室で料理ができません。狙い通りです。自炊をしたくてもできないような環境に身を置きたかったので、そういう部屋を探して契約しました。以前書いた通り、選択肢を減らしたかったんです。
私は音楽活動をしているので、リハーサルやライブ・ツアーなどで外食が多いです。それ以外にも打ち合わせや打ち上げなど、公私混同どころか公と私の境目なんてほぼないので、あらゆるひとにあってお茶や食事や飲みがあります。それら全てが仕事といえば仕事です。
そんな暮らしの中で自炊という選択肢があると「今日も外食をしてしまったなあ」という罪悪感を抱えてしまいます。「昨日作ったあれを食べたい・食べないとなんだけどなあ」と思いながら外食しちゃう、みたいな状況になります。結局食材を買っても食べる前に腐らせてしまったり、ひとりでは同じものばかり食べるはめになってしまったり、数年前にそういう経験をしました。
上手く運営できないんです。だから自炊をやめました。
料理をすること自体はかなり好きですし、食器を柳宗理で統一したり、そういう野望や料理へのロマンももちろんあるんですけど、今はそっちの道を諦めました。
今住んでいる部屋には水道もガスもないと書きましたが、自炊をしないので、食事に関わる全ての家電もありません。食器もありません。もちろん食器棚もありません。食事をしないので、イスもテーブルもありません。買ってきたものを食べることもしません。ゴミが出ないのでゴミ箱もありません。
こうして書いてみると、ひとは「自炊」を遂行するために、どれだけのモノを揃えて、運営していかなくてはいけないのか、その大変さに気付かされます。
それを普通にやっている全てのひとを本気で尊敬します。これは本当に皮肉でもなんでもなく、心の底からそう思っています。私はそういうことができないから、むしろ断つ。その方向で楽しみを見出している感じです。
いつか、むしろ自炊最強みたいな環境になれたらカッコいいなと思っています。いつでもひとを招いて食事ができるし、ちゃんと管理して美味しくて身体に良くて、かつ経済的で。みたいな食生活は憧れます。先日、友人宅に手作りのカレーを食べに行くというとんでもない最高なイベントがありまして、その時にこれを痛感しました。そしてそのカレーが信じられない美味しさで「これを自分の力で食材から作り出す」という概念がなくなっている今の私にとって衝撃ったらありませんでした。
何度でも書きますが、今の私はこういうスタイルの暮らしを試してみてるという感じです。自炊も外食も人付き合いも、全部ちゃんとやるのは、今の私には無理だと思っています。
じゃあ普段の食事はコンビニなどで済ませているのかといえば、そうでもありません。私はコンビニやスーパーで売っている、総じて"食事系の既製品"を自分では買いません。この辺はまた別の機会に詳しく書きますね。
結構なスタイルですね、こうなると。自分で書いてて苦笑いしちゃいます。
まとめると、飲食店で食べる、お菓子や甘いものを食べる、果物を食べる、食べない、の4択です。
やっぱり、好きな食事のことをさらっと書き切ることは不可能でしたね。いつかに続きます。
ミニマル計画15 減らすことは目的ではない
ここ数ヶ月、ミニマル計画についてはnoteというブログサービスに書いてました。しかし様々な理由でこっちのブログに再統合しますので、これまでnoteに書いて、こっちの過去13回で書いた内容と被らないものは移行します。
noteが魅力的なサービスであることは間違いないんだけど、私にははてなブログのスタイルが合ってるなあと。文字サイズや色の変更が感覚的だったり、リンクの貼り方がいい感じだったり、はてなブログは何かと機動力が高いんですね。
そして何より管理するモノ自体を減らしたいっていうのが目的ですね。「明確な理由があって要素を増やして、それで過ごしてみて、納得したうえで、またまとめる」っていう私のミニマリズムそのものって感じの行動になっちゃいました。では!
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「減らすこと」
それ自体はミニマリズムの目的ではない。
これは自戒の意味も込めて何度でも書き続けたいと思っています。前回、私が妙な例えを持ち込んで書いた目的、を達成するための手段として、私は色んなモノや要素を減らしています。
でも具体的にモノを手放すのってコツが要るというか、考え方を変えないと踏み切れない領域みたいなものがあるって経験があります。
なので結構、その辺が気になってる方って多いと思います。それについてもこれからガンガン書いていきます。モノを手放して物質から解き放たれるのって超快感なので、色んなひとに魅力が伝わったらいいなあと思う一方、それ自体は目的じゃあないよー!ってのも忘れずにいたいです。
手放すことを覚えると楽しくて、ついついそれ自体に熱中しちゃいがちなんですよ。
ミニマリズムって考え方 (手段) を取り入れた結果、身軽になって、攻めの姿勢を続けて、やりたいことを超やれるようになって、最高!というか。
服は全部、同じメーカーの一番安い無地Tシャツです。
これで服を選ぶ時間を大幅に節約、汚した時無くした時の絶望感から解放されます。
みたいなスタイルはちょっと味気ない気がします。できることならイケていたいです。あくまでもスタイリッシュに着地したいなってずっと思ってます。
そして、あくまでも今私はそう思ってるだけで違う考え方を全く否定しないっていう意識も超超大事にし続けたいです。
私がミニマリズムに目覚めたのってここ2年くらいのことなんですけど、いったん極限まで押し進めた2018年夏頃と比べて、今では余裕というか余白を楽しめる気持ちになりました。
色んなものをアリだと思えるようになりました。それはそれで物事への執着が消えていくミニマリズムならではの変化だし、いつか詳しく書きますけど、とにかく色んなひとがいて、それら全てがアリ。
「あのひとは〇△◇でダサい」から「あのひとは〇△◇でかわいいじゃん」
に変わりました。
まさに幻影旅団フランクリンがシャ=ア一家副組長イットクに言った
「売らなきゃ買わない」の精神でいたいなと思ってます。
そもそも人間に超興味があるし、好きなひと (恋愛的な意味ではない) のためには全力で力になりたいと思っています。その一方で全他人の行動言動は自分とは全く関係ない世界の出来事って感覚も、全く同じ比率で同居してます。私。これについてはうまく説明できません。